豎刁 - 春秋時代の人。斉の桓公の家臣で、自ら後宮の管理を願い出て去勢した。自宮宦官の始めと伝えられる。桓公死後に斉の政治を乱した。
趙高 - 秦。李斯と共に始皇帝の死を秘して、二世皇帝胡亥を擁立した。宦官の概念を悪化させた元凶とされる。
蔡倫 - 後漢。紙の発明者。
十常侍 - 後漢。霊帝に仕えて中常侍の官にあった宦官集団の事。ただし、正史によれば、実際には12名いたという。
黄皓 - 蜀。劉禅に仕え、蜀の実権を握り自分勝手に人事を変え、蜀の滅亡の元凶となる。
高力士 - 唐。玄宗に仕え、皇帝に代わって雑事を取り仕切った。
李豬児 - 唐。契丹の出身者で安禄山に仕えた。安禄山自身の手で去勢されたエピソードで有名。
童貫 - 北宋末。皇帝徽宗の寵愛を受け、軍の指揮官として方臘の乱を鎮圧した。
鄭和 - 明。南海大航海を行った。
劉瑾 - 明。正徳帝期の初めに政治を専断した。自ら帝位につこうと謀反を企てたために凌遅刑で処刑された。
魏忠賢 - 明。天啓帝に代わって政務を壟断し、各地に自らの像を収めた祠を作らせるほどの権勢を誇った。
董海川 - 清。皇族の武術教師。八卦掌の創始者。
李蓮英 - 清。西太后に重用された。
朝鮮 [編集]
朝鮮も中国に倣い、自国の官僚機構に宦官制度を導入していた。
現存する朝鮮最古の歴史書「三国史記」の巻10「新羅本紀」には、新羅の第42代「興徳王(ホンドクワン-こうとくおう)」(生年不詳 - 826年即位 - 836年没)が、王妃の章和夫人が即位後2ヶ月で死去してからは、後妃を迎えず、後宮の侍女も近づけず、宦官に身の回りの世話をさせたとの記述があり、9世紀にはすでに宦官制度があったことが分かる。
高麗(918年 - 1392年)や李氏朝鮮(1392年 - 1910年)にも宦官制度が存在した。去勢の方法は、中国のように陰茎を切除することはなく、睾丸のみを切除していたとされる。また、自国の官僚として使用しただけではなく、自国民を宦官にして歴代の中国王朝に貢進していたことでも知られる。
元の順帝(1320年 - 1370年)時代に後宮に権勢を振るった朴不花は、高麗から貢進された宦官であり、また1403年(明の永樂元年)には、「明の皇帝の聖旨を奉じ、容姿閑雅、性質利発な火者(宦官の別称)35名を選抜して貢進した」という記録が、朝鮮側の記録に残されている。
1894年の甲午改革で宦官制度は廃止された。
現在の韓国・ソウル市鍾路区にある孝子洞(ヒョジャドン/???)は、かつて退職した宦官が住んでいたとされ、「火者洞(ファジャドン/???)」と呼ばれていたという。
西アジア・地中海地域の宦官 [編集]
古代オリエント [編集]
宦官は古代エジプトやアッシリア、アケメネス朝ペルシャ帝国といったオリエント諸国でも用いられた。やはり中国同様刑罰として去勢されるようになったものが発端である。役割としては中国同様後宮に仕える者が多かった。
古代ギリシア・ローマ〜東ローマ [編集]
宦官は、オリエントの影響を受けた古代ギリシアやローマ帝国、及びそれを継いだ東ローマ帝国でも用いられた。オリエントやギリシア・ローマでも宦官は宮廷内部の雑用係中心であったが、ローマ帝国後期以降に皇帝権力が強まると高級官僚の世襲を防ぐ為に宦官を高級官僚に用いることが多くなった。
キリスト教化した東ローマ帝国では官僚として重く用いられ、軍隊の司令官やキリスト教東方正教会統率者のコンスタンティノポリス総主教にまで宦官が多数任命された。例えばユスティニアヌス1世の時代に対東ゴート戦争を指揮したナルセス、フォティオスと総主教位を争ったイグナティオス、ニケフォロス2世フォカスの治世からバシレイオス2世の治世初期に権勢を振るったバシレイオス・ノソスなどは宦官であった。ちなみにイグナティオスとバシレイオス・ノソスはそれぞれミカエル1世ランガベー、ロマノス1世レカペノスの息子であり、失脚した皇帝の子孫から、皇帝を狙って反乱を起こす者が出ないように去勢された者が居たことを示している。
中国のように宦官が皇帝の寵愛を背景に実権を握った例は多いが、国家の正規の官職に宦官が多数任命された国家は東ローマ帝国だけであろう。このように東ローマ帝国は宦官を重用したため、中国同様、自主的に去勢して宦官を志願したり、親が子供の出世のために子供を去勢してしまう事例が出て来た。またキリスト教の普及に伴って、自ら欲望を絶つ目的で去勢する者も現れた。その流行は凄まじく、民間での去勢を禁止する勅令が幾度も出されるほどであった。
11世紀末-12世紀に入って、軍事貴族出身のコムネノス王朝が成立すると、11世紀まで文官官僚として軍事貴族と対立していた宦官の勢力は弱まっていった。その後、12世紀末以降帝国が衰退していくに連れ、宦官の供給源となる属州が失われ、帝国の財政力も低下していったため、要員を雇うことができず宦官は激減していった。
イスラム諸国の宦官
一夫多妻制であったイスラーム諸国ではオリエントの伝統を受け継いで宦官が用いられた。特にオスマン帝国では宦官は後宮(ハレム)を取り仕切り、陰の実力者として振舞い、政治の実権を握ることもしばしばあった。
イスラム諸国の特色としては、コーランに記載されている教義上の去勢禁止規定を回避するために、イスラム教徒以外の男性(多くは少年)を去勢して宦官とするのが原則であったため、外国人である黒人や白人の宦官が多く採用されていた。彼らの多くは、戦争で捕虜となるか、奴隷として売られてきて、宦官にされたものである。ガージャール朝の創始者アーガー・モハンマド・シャーも幼年期に捕虜として去勢されていたが、後に脱走を果たして勢力の再結成に成功し、宦官として王朝を開いた一つの例である。当然ながら彼に子供はおらず、死後甥(ファトフ・アリー・シャー)が帝位を継いだ。
イスラム諸国の宦官の去勢の方法は、男性器全てを除去する完全去勢と、陰嚢または両方の睾丸のみを切除する不完全去勢とかあり、去勢奴隷として売られる場合は前者の方が、高価で取引された。なお、イスラーム世界においてもしばしば男色が行われており、宦官が君主ら主人の男色相手をつとめる場合も少なくなかった。
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